いつかの夏

いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件を読んだ。

自宅近くの市立図書館のドキュメンタリーではない書棚で見つけ、あー確かそんな事件あったと思い、パラパラと軽く読み進める。少し回りくどいが好きな文体。ルポライターというよりも小説家タッチ。修飾語が多く、先の展開に期待を持たせる筆の進め方、良さそう、と借りてみた。何よりも同じ県で起きた事件、登場する地名、駅名、施設名に聞き覚えがある、自由が丘駅前は何度通ったことか。といってもこちらに引っ越してきたのは、事件から4年後、事件の余韻を感じたことはなかった。

身近な大事な人が突然いなくなること、今日と同じ日常が明日も明後日も続いていくことを疑ったことはなかった。ふと残された側の立場になって考えてみた、悲しいとか寂しいは当然だけど、自分の生きる意味を根本から考えてしまう。年をとっていつの間にか家族の存在が大きくなっていることに気づく。感受性が鈍っているかと思っていたが、涙腺は明らかに緩んできている。いやこの事件の悲惨さ故、あるいはご親族、恋人の気持ちを余すところなく伝えようとする筆者の熱意か。

いずれにしても心を揺さぶったことは間違いない。犯罪被害者と加害者に対するプライバシーの矛盾といったメディアの在り方、永山基準や長期に及ぶ裁判の是非といった法曹界の課題、それらが被害者の視点で熱を持って綴られている。