いつかの夏

いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件を読んだ。

自宅近くの市立図書館のドキュメンタリーではない書棚で見つけ、あー確かそんな事件あったと思い、パラパラと軽く読み進める。少し回りくどいが好きな文体。ルポライターというよりも小説家タッチ。修飾語が多く、先の展開に期待を持たせる筆の進め方、良さそう、と借りてみた。何よりも同じ県で起きた事件、登場する地名、駅名、施設名に聞き覚えがある、自由が丘駅前は何度通ったことか。といってもこちらに引っ越してきたのは、事件から4年後、事件の余韻を感じたことはなかった。

身近な大事な人が突然いなくなること、今日と同じ日常が明日も明後日も続いていくことを疑ったことはなかった。ふと残された側の立場になって考えてみた、悲しいとか寂しいは当然だけど、自分の生きる意味を根本から考えてしまう。年をとっていつの間にか家族の存在が大きくなっていることに気づく。感受性が鈍っているかと思っていたが、涙腺は明らかに緩んできている。いやこの事件の悲惨さ故、あるいはご親族、恋人の気持ちを余すところなく伝えようとする筆者の熱意か。

いずれにしても心を揺さぶったことは間違いない。犯罪被害者と加害者に対するプライバシーの矛盾といったメディアの在り方、永山基準や長期に及ぶ裁判の是非といった法曹界の課題、それらが被害者の視点で熱を持って綴られている。

暇なので考え方の整理

サラリーマンは早起きして出勤し、オフィスで1日仕事をする。一日の拘束時間の対価として、定期的な報酬を得る。悪くない選択肢と考える人もいれば、他に収入があればサラリーマンなんてという人もいる。私は後者の考え。

仕事のモチベーションの3要素に、報酬、やりがい、周囲の環境、があるが、純日本的な企業であれば報酬は年功序列で能力の多寡に大きく依存しないし、周囲の環境は自分で選択することはできない。周囲の環境を変えるのではなく自分が変わるという正論はもっともだが、若手ならまだしもいい歳したサラリーマンになると、自分を変えること自体は可能だが、非常に面倒でストレスを感じる。やりがいについては、本人の資質にも大きく影響するであろうが、同じ職場で5年も働けば、真新しさからくる知的好奇心は既に充足してしまう。

方針のフローチャートを考えてみる。

・サラリーマンのまま

→Yes, 報酬、やりがい、周囲の環境を自身が満足できるようにコーディネートする。

 →報酬:賃金増加しかないが年功序列のため、コントロール不可。

 →やりがい:部署移動。常に上申する他ない。

 →周囲の環境:面倒。

⇒結果、有給をしっかり消化し、自分の役職(給与)に見合った業務を実施することで、会社に対する不満を相殺する他ない。平日に有給を取得して、溜まった仕事分の残業を平日にする。ワークライフバランスを考慮しつつ。昨今の働き方改革と自分の職場での立ち位置を考えるとなんとかなりそう。

→No, 平凡なサラリーマンの現実的な選択肢は、インカムゲインによる定期収入を確立した上でのセミリタイア。税引き後20万円/月の配当を得るには、年間320万円、(税引き後)4%配当の株式,ETF等に投資しても14年要する。15万円であれば11年。

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ただ、セミリタイアが達成できたところで、何をしたいのか。ぱっと思い浮かばない。新卒で入社して同質の人間に囲まれて日々を送る内に、仕事が人生の大部分を占めてしまっているようだ。別に悪くはないかもしれないが、よく言われる「生活するために仕事をしているはずだったのに、いつのまにか仕事のために生活している」状態。本末転倒。仕事にやりがいを感じる人はOKだが、平凡なサラリーマンには少し悲しい現実。